昭和43年05月31日 夜の御理解



 お道の信心を頂いて、愈々不思議のようであって不思議でない、当然の事としてのおかげが、全ての上に頂けれる様になる稽古をさして貰わなきゃなりません。それには絶対信と申しますかね。その絶対信に愈々向かって信心が進められて行かなきゃいけない。絶対信と言うと、昨日でしたかね、朝の御理解にある。神経を取ると楽だと。人間心を取ると楽だと言う御理解ですね。
 歯痛でも神経を取るとこの治る様な、痛みが無くなる様に神経を取る事だと思う。中々そのそこにですねんな私あの、私共はいくら神様を確信と言うておっても、どこにかその、人間心が出るのですね。夕べは眠っていないからとこう思うその神経が、もう今日は頭がガンガン言う眠たい。是はもう確かにあの神経です神経の作用ですよね。ここを信心さして頂いて、そこんところをおかげを頂いて行く。
 今日あの久留米の佐田さんが午後からお参りして見えてから、先日から長崎雲仙この会社の招待で、日清の社長会議かなんかというものがあってですね、九州から49名ですかねまあ選ばれてその招待を受けられたもう大変な旅行だったらしいですね。そちらで矢張りあの毎朝4時に起床さして貰うのに今日はまあお参りがないから、今日はゆっくり休ませて頂けれると思てから休んだけれどもやっぱりあの4時で目が覚めた。
 それで主人と二人で起き上がってから、こちらが合楽の方角という方を向かって、御祈念をさして頂いた。それからあのまた色々お風呂入ったりなんかして、その色々なあの催し物なんか合わしてもろうて、まあ休憩の時間に暫く休まして貰おうと思ってですね。休ませて頂きましたら、先生そのそれから目が覚めたら体がきつうなり、丁度もう休ませて頂いた時間だけ体が抜ける様にきつかったとこう言うたですね。
 こう言う風に神様がその、もう毎日の、是は習慣と言うのじゃなくてから、神様のおかげを受けておると言う事実を、こう例えば休みの日にでも、見せて下さるんですけれども、ここんところがですねこの人間心使ってから、それが段々こう疎かになって参りますとそれもまた元に戻ってしまいます。だからはあ神様は、あの例えば眠らんでもおかげ下さるんだと言う様なものが、段々出来て参りますとそこに愈々眠らん。
 夕べ眠っとらんでもこうだおかげを受けられるんだ、というものが段々出来ますけれども。それが何日か続きますと矢張り眠ってないからというのが神経がね。是は私共でもやっぱそうである。出来とらん様であるけど神経がやっぱ働いてやはり眠い。やっぱ頭が重たい。ガンガン言うそう言う所を縮めて行くひとつの工夫をさして貰うと同時に、神様のお働きの中にはです、それを縮めさせ様とする働きも矢張りあると云う事。
 そこんところを頂いて行かなきゃね。佐田さんの場合なんかは、そのそういう神経を取れよと言う働きを感じておられますです。その辺が大事です。今日ものあのにおうまるの仲崎さんて言う人が参って来ましたね。お孫さんが耳が悪いちゅうので、病院に行って、耳の養生幾らしても幾らしてもその、良くならん訳です。段々その頭まで悪くなると言うように、頭のいい子だったそうですが、悪くなる。
 それでお願いに見えました所が、病院を変えてみようと云う事であった。それでほんのすぐ、すぐ隣にある病院に変わった所が、「是はあの、手術せな治らん」ちゅうた。「手術すればすぐ治る」ちゅうた。と言われてですね、またあのお願いに見えましたから、手術をする様にお願いしとりました。そして先日行かれたんですね。所がその、そこの先生が診察されながらですね。
 「今朝、ご飯食べて来たか」と言われたそうです。「はい、今朝からご飯食べて来ました」ちゅうた。「あいたそんなら、今日は出来んてい手術は」ち言うた。「ああ、そうですか」と言うてから、診察しながら、診察が終わった時には、もう手術が済んどったっち。見ておる者も手術を受ける者も、何時の間に手術が済んだか分らない程の、まあ簡単な手術だったらしいですけれどもですね。
 その「朝ご飯を食べて来たか」と「はい、食べて来ました」「ああそんならもう今日は出来ん。明日でなからな」もうそれでもう愈々今日はもうないもんだと神経が働いてしまったんです。ですからこうやって、診察して貰いよる間にですね。手術せん所か、その手術すらが気が付いてなかった。もう私もあっけにとられるが、本人も、「こげな手術なら何時したっちゃよか」と言うてから言いますけれども。
 実はですねそれがやっぱ神経を使うと、もうそのやっぱ出来ない痛いらしいんですよね。そりゃ中々嘘も方便でそのお医者さんは名人だなち言うてから話した。所が丁度あの嘉郎さんが来とりましたが、嘉郎さんが今度あの雅代さんがあの何ですか、雅代さんか今度あの手術をしましたのでちょっとした手術を。それにも先生はもうそうにゃそれを「ほんとこれは痛かもんの」ち言うてから言いなさるとですけん。
 子供はそれは無神経じゃけん。聞きよらんけんええばってん親がそうにゃに痛かろと思たっち言うんですね。だから親がその、欲をかいたからと思うただけでも、もう頭をひねってからですね、この手術、手術は痛かもんの、とかなんとか言いなさるそうですから、あれはお医者さんによってですね、もうほんとにお医者さんが首をひねりなさりゃ、もう病気が思う様に神経が働くし。
 そう働きゃほんとに病気までの状態に成って行く様にですね、人間の神経と言うものはもう神様をいよいよ、信じて疑わないおかげを頂く為にもこの神経が働いてはですね、人間心ばかりが出てから、苦しくない事まで苦しいのです。ですからそう言う所をですね、本気で神経を取らして貰う。本気で神様いよいよ信じさして貰える、おかげを頂かして貰おうと言う、そのおかげになりますとですね。
 そこに神様が、それを裏付けして下さる様に、そのおかげを下さるんですけれども、もうその次には、人間心が出たり、まあいうならば、佐田さんの場合で言うならば、その、眠いとか寝らないと言った様な事でもです、次の楽な方へ、ずるずる引かれて、矢張り結局、人間は眠らなければいけんのだ、と。なん時間な眠らにゃと、というようなことに成って来るんですね。
 だから、ここんにきも本当を言うたらですね、もう神経がなくなればです、したら神様が、そのもっともっと素晴らしい、眠らんでも憔悴もしなければ痩せもしない、頭も痛くないと言う程のおかげ頂けれるんです。だからその事を信じてです。まだ私の信心が足りないのが。眠いのだ。頭が痛いのだと私は思わないけんと思うですね。そして神様のおかげはその絶対なものとして、それに近付いて行く所の信心。
 そういう稽古をさして貰やね、神様の方が、それこそお医者さんじゃないですけれどもですね。もう神経を使わんでも済む様に演出して下さってです、おかげを下さる事を私も体験しておる。と言うて私自身もです、まあだ神経を沢山使う所にですね、まだ絶対信と言いながら、ほんとの絶対信を頂いていない。稽古の、まだ分野の方がどのくらい広いかと言う事を感じますですね。
   どうぞ。